ホロスコープとアカシックレコード


今まで何人かのホロスコープの分析をアップしましたが、このところ思うことがありまして、

今回は分析はお休みして、少しだけ別のことを書こうと思います。


有名人のホロスコープを分析してアップするのは、デモンストレーションです。

決して「覗き見」的な興味からではなく、ホロスコープにはこれほどまでに個人の情報が盛り込まれているということをご紹介したかったからなのです。


アカシックレコードとホロスコープは似ています。


松村潔先生は「ホロスコープはアカシックレコードである」とさえ言っています。

最初にそれを聞いたときは「本当かいな」と思いましたが、ホロスコープが分かってくるとその通りだと思います。


正確に言うと、アカシックはもっと広大なもので、ホロスコープはその1部分なのだと思います。


私がスピの世界に馴染んでいるのは、小さい頃から妖精が見えたとか、ガイドからのメッセージを受け取っていたとか、日常的に不思議体験をしていたから、とかではありません。

スピ界隈にはそういう人はゴロゴロいてうらやましい限りなのですが、私はそうではありません。


私の場合は、生まれた環境が苛酷だったので物心ついたときには立派に「生き辛く」なっていた、ということがきっかけです。


その頃はまだ訳も分からなくて「こんな世界で生きていたくはない」と思うこともしばしばありました。

でも簡単に生きるのを止めることもできなくて、辛い毎日でした。


切羽詰って「その方法」を考えているとき、

「違うでしょー。本当は生きたいんだよね」という声ともいえないような声(概念?)が頭の中にやってきて驚いたりしていました。


病院にも行ったし薬も飲んだ。でもこれではどうにもならないと思った。

カウンセリングも何度も受けたし、自分でも心理学を勉強してなぜこんな風になってしまったのか理解できた。


アドラー心理学を勉強していたときに、当時はアドラーの第一人者である野田俊作先生(故人)がまだ東京に来ていて、講座の他に和尚の技法をとり入れたボディワークの合宿をやっていました。

その時にちょっとした「覚醒状態」を味わいました。


一時的にですが、

この世が虹色の空気で包まれて、キラキラしていて、至福感で胸がいっぱい、、

周囲の人々も草木も動物も、建物や乗り物でさえも愛おしくてたまらない。

何でもできるし、何もいらない、、自分が完全体になったような感覚。


しかしこの感覚は次第に薄れていき、家に帰って1週間もすると消えてしまいました。

今思えば、それは一時的にハートチャクラがグワーッと開いた状態だったのかもしれません。


ここで「瞑想」というものを知り、和尚のコミューンに参加したいと思うようになりましたが、場所が遠かったのと「なんとなく」怖くて一度も参加はしませんでした。


その後

バーバラ・ブレナンの「光の手」という本を偶然本屋で見つけて、エネルギーヒーリングというものに興味を持ちました。

この世界には、世間ではまだアカデミックに解明されていない「しくみ」が存在する。

その「しくみ」を理解したい、と思いました。


ヒーリングに興味が出たのでアロマテラピーの学校にも行きましたが、肉体的な「癒し」だけではどうにもならないほど私の状態はこじれていました。


私に必要だったのは肉体的な癒し以上に、間違った自己認識を修正することや溜まりに溜まったエネルギーブロックを外すことでした。


こういう動機があって、授業料がバカ高いレバナやゲリーのスクールにも行きました。

私は子供の頃から経済的に恵まれていなくて、そんなお金は逆立ちしたって用意できないと思いましたが、

生きるか死ぬかみたいな状況だったので、気持ちに迷いが無かったのが功を奏したようです。

私自身は一文無しでしたが、いずれも何故かお金が工面できてしまいました。


こういうのを「引き寄せ」というらしいですね。


「引き寄せの法則」は本当にありますよ。

そして、これをもっと意識的にやれないものだろうかと思うようにもなりました。



ところで、私達はなぜ働くのでしょう?

肉体を維持して社会的な存在であり続けるためには、お金が必要です。

そのお金はどうしたら手にできるのでしょう。


その段階で私は勘違いをしていました。


嫌なことでも耐えて一生懸命働く

自分よりも誰かのことを優先する

社会常識はしっかり踏襲する

トレンドにも気を配る


こんなの嘘、全部間違いです。



事実、そんなことをいくら頑張ったって疲れるだけでお金は手元にやってきませんでした。

(お給料の話しではないです。お給料は契約というカテゴリーだからね)


でも、レバナやゲリーのスクールには行けました。

それは何故かと言うと、「心から願って、行くと決めた」からです。

それらのスクールに行くために使ったお金は、私が稼いだお金ではありません。


これは何を意味するのでしょう。


まずここでひとつ気付いたのは、私達は「何を心から願っているのか意外と分かっていない」ということです。

自分の事を知らなすぎるのです。


人の心というのは何層にもなっていて、一番中心の部分は硬く閉ざされていることが多々あります。

特に現代は情報が多すぎて、それらに翻弄されている人が多すぎます。

ますます自分のことが分からなくなっていきます。

自分のことが分からなければ、自分が本当に望んでいることも分かりません。


その結果、願いは叶わないのです。


まず自分を知ること。



残念なことに、子供の特性を理解して無理なく伸ばしてくれるような親は少ないです。

なぜなら親も沢山の葛藤に縛られているからです。

親になったからと言ってすぐに親としての資質を持てるかと言うと、答えはNOです。

それに親よりも子供の方が進化しているので、どの道子供は親の葛藤を受け取ることになるからです。それは教師も同じです。


それでも先週取り上げたDAIGOさんのように、いい感じに開花している人を見るとホッとします。


ホロスコープには実に様々な情報が記録されています。


読み方にはいくつかの系統があって、

マンデーンでは時代の流れや経済などの情報を読んだりします。

ホラリーはその瞬間の状態に特化した読み方。

心理占星術(ティル式)は個人の資質や今生の体験の方向などを見ます。

他にもサビアンとかヘリオとかありますが、


私はティル式の心理占星術に一番興味を持ちました。


ホロスコープは可能性の幹細胞でもあります。

幹細胞、、ことばが思いつかなくてすみません。

ここからどんな形にでも分化していく、というイメージなのですが。


例えばDAIGOさんのホロスコープでは、彼の資質が全部裏目に出たら、

独りよがりで、変人で、浮いた存在で、調子の良いことばかり言っている遊び人にだってなりかねないのです。


ここで言いたいのは、「資質の表現には階層」があるということです。


麻原死刑囚だって階層を極めれば、スピリチュアルなカリスマ治療家や著名な芸術家になっていく可能性もあったわけです。


RPGゲームのように、全ての結果はすでに用意されています。


重要なのは、どのようにプレイしてどのようにステージをクリアしていくのかはプレイヤー次第なのだ、ということです。


失敗に終われば、転生という形でまた同じステージを繰り返す。

そこには良いも悪いもありません。ただそれだけのことです。

ひとつのテーマをクリアするのに10転生くらいかかることもある、とゲリーは言っていました。

でも地球自体が進化している今、そんなに待てないと思いませんか。


全ての結果はすでに用意されていて、いくつもの並行自己が存在していて、どれを選ぶかはその人次第です。

この点でホロスコープはアカシックレコードである、という理屈が納得できるのです。


ホロスコープには良いも悪いもありません。


その資質をどう使うのか?

問題なのはそこです。


本来の自分と一致した生き方を選ぶこと。

これが大事なのです。


自分を縛る「不適切な」思い込みを発見して統合し、本来のあるべき姿を思い出す。


そのためにホロスコープを読むことが役に立つと、思うのです。

自分でも気付いていない資質が発見できるかもしれないし、可能性が広がるかもしれません。


今後は、9月ぐらいをめどに徐々に個人セッションの場も整えていこうと思っています。



個人的にはホロスコープはアカシックという「おでん鍋」の仕切りみたいなものだと思っています。

ほら、仕切りがあると鍋の中の具財がゴチャゴチャにならない、、、笑



こちらは2016年に公開の映画「メッセージ」に出てきた異星人の文字。

これもホロスコープみたいだなと思います。

この作品はアカシックレコードを描いていると言われています。



次回は大泉洋さんのホロスコープをお届けする予定です。

この人も大好きなんです。

「探偵はバーにいる」シリーズはすべて映画館で見ています!

「水曜どうでしょう」も大好き。


また予定変更したら、その時はごめんね~。


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