「IT」の続編を見てきました。
私はホラーやスプラッタは大嫌いなのですが、
これはそういうのではない。
ホラー仕立ではありますが、インナーチャイルドのお話だと思うのです。
誰しも見たくないもの(怖いもの)を封印して生きている。
それは子供の頃に作られる。
そして封印して暮らして年月が経つと、封印したことすら忘れてしまう。
でも「それ」はたびたび顔を出し、肝心なところで大事なことをオジャンにしてしまう。
そして同じことを何度も繰り返す。
あるでしょー?そういうことって。
私はあると感じてますよ。ヒシヒシと。
封印したものが姿を現すと身動きできなくなります。
まあ、程度の差はあるけど。
怖いですよね、、
私は怖いです、、ほんとに。
映画は終始「ワー!」とか「ギャー!」とか「血ドバー!」の連続ですが、
「怖さ」を表現するにはそれが分かりやすいからで、言いたいのはそんなことではない。これは前作も同じ。
西洋人には「ピエロ」とか「赤ちゃん人形」という恐怖の原型があるので採用されたにすぎない。と思う。
あと、血とか、いきなりギャー!と現れて襲ってくるのは万国共通で文句なく怖いよね。
映像的にもショッキングで分かりやすいし、まあアメリカの映画だし仕方ない。
もし日本人が作ったら全く違う表現になるんだろうな。
ペニー・ワイズ(ピエロの名前)は前作で一旦子供達に退けられて退散しますが、27年経ってまた現れます。
この「27年」というのも絶妙な年月で、子供達は40歳になってまたペニー・ワイズと対峙することになります。
40歳は立派な大人です。
そしてまた、ペニー・ワイズの「殺し方」が、やっぱりそれしかないよね、というか、、
やっぱりそれか!
と妙に納得してしまったんですね。
思わず膝を叩きたくなったけど、映画館で膝を叩くわけにはいかない。
そして肝心なことは、
大人にならないとペニー・ワイズの息の根を止めることはできないんだよね。
子供では無理なんだよ。
むしろ生き残って大人になった子供に殺されるために27年後に再び現れるのかも知れない、とも思った。
でも大抵の場合、大人になると忘れちゃって、その結果ペニー・ワイズはいつまでも死なずに行き続けることになる。
そう、「自覚」がなくなっちゃうのよ。
だって「自覚」するのは怖いもん。
下手すると精神が破綻して「日常生活」ができなくなっちゃう。
でも「自由」に生きるためにはペニー・ワイズには死んでもらわないといけない。
それにはまず「自覚」することが第一ステップなわけで。
私が占星術をやったりゲリーのところにいったり、いろいろスピ的なことに首を突っ込んだのも、
私のペニー・ワイズを殺したい!
これに尽きるのです。
ペニー・ワイズは罪悪感や恥辱感や無力感や無価値感や、誰にも言えない忌むべき秘密や、、
まあ、そういう「死ぬほど見たくないもの」を象徴している。
「命を奪われること」はシンプルに恐怖だけど、人間にとっての恐怖はそれだけではない。
人間は社会的な生き物だからね。
話しは逸れるけど、スピは別に特別なことではない。
20世紀に産業革命や戦争が起きて、そのための「教育」が施されて、私達はあさっての方向ばっかり向かされて来ただけで、よく考えれば元々日常こそがスピリチュアルの連続で、、
それを今になって「特別の能力」みたいにアピールしたり、委ねてしまったりというのは好きじゃない。
最近つくづくそう思うことが多くて、、
「覚醒」を売り物にしたり、
「理念」とかも方向を間違えるととんでもないことに、、
「特別」ってなに?、、とか
紙一重だと思うんですけどね。
人にとって
「こわいもの」とは何なんでしょうね?
そして破綻すると困る「日常生活」って。
ペニー・ワイズは最期に印象的な言葉を残します。
映画はきっとこれを言いたいんだ。
実は誰もがアダルトチルドレン、、
映画が終わって、なんだか気分が明るくなってやる気が出るという、不思議な感覚。
ホラーを見て気分が明るくなるとか、、
でも変態ではないつもりです。
私にはとても身につまされる映画でした。
(それと、太っちょだったベンの初恋が実ってホントに良かった。)
なんだかんだでとてもエネルギーが動いて甘いものが食べたくなり、珍しくドーナツなんぞ食べました。
(少しかじっちゃいましたが!)
あ、一人で見に行きましたよ。
怖いのは嫌だって誰も一緒に来てくれなかったので。
でも久しぶりにとても面白かったです。
よくよく思い返せば突っ込みどころもあるんだけど、それはとりあえず言いっこなしね。
外に出たら米栂の並木が色づいていて、とても綺麗でした。
やっと天気が落ち着いて、素敵な秋がやってきてくれたようです。
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